メガミドSS 嗜虐の果てへ 御堂孝典視点 <1>
< Agnus Dei アニュス・デイ> 一稿 改稿予定
身体のどこかがまた悲鳴を上げている。 重いまぶたを開ければ、視界は歪み、ぐらぐらと揺らぐ。わずかに目を眇め、浅く呼吸をしながら、眼の焦点が整うのを待つ。 鋭く皮膚に食い込む痛覚が私を−−僅かに残った意識を呼んでいた。 このままでは鬱血して手首が腐り落ちてしまうか‥‥少しく焦り、そして薄くため息をつく。 奥歯を食いしばりながら、両手首をすり合わせる。 鋭角的な痛みが薄れると、全身の疼痛と倦怠感が圧倒的な質感を持って戻ってきた。 耐え切れず、そのまま床に転がり倒れる。 肩の骨と肉が床を打つ音が響き、瞬時に私は怯え、身構える。 物音を立てては‥‥。 佐伯はいない。 私をここに監禁し、飼っている男は、今は働いている時間というわけだ。 おそらくまだ昼過ぎなのだろう。 時刻などもうとうに意味を成さなくなった。 あいつがいるか、いないか。それだけがすべて。 光を避け、腕で顔を覆えば、引きずられた銀鎖が耳元でチャラチャラと鳴った。 鎖の先を手繰り寄せ、手のひらに集める。小指の爪ほどの大きさの銀環を連ねて作られた鎖は、縛られた部分から既に体温を吸い込んで人肌となり、奇妙に掌に馴染んだ。自由になるのは、30センチに満たない長さ。 わずかに動くつま先で弄ぶ。 決して解けることのない知恵の輪の連鎖。 鎖の環をひとつひとつ爪繰ってみる。 いつか見た光景だ‥‥何処で? 退屈しのぎ‥‥。退屈とは何だろう、忘れてしまった。 時計も日時を知るものも取り上げられて久しい。 手の中で、規則正しい音を立てる鎖の環に、どこか心安らぐ。 しばらく無心に指先を動かした。 縛られた手首が痙攣して、鎖を手放す。金属の軽い音を立てて、それは床を打った。 薄れてゆく意識、無為に流れてゆく時間に抗うこと。 いったい、いつまで、私は私でいられるだろう。
痛みが再び私を引き戻した。
眠っていたのか、失神していたのか。
自分自身、既に区別が付かない。
‥‥どこだ?
両手首を束ねて戒め、幾重にも巻きつけられていたのは、いつものハンドカフスではなく、細い銀鎖。
痛みはそこから来ていた。
いや、あの男はそんな不手際はしまい。
指先まで痺れてはいるが、両手に血は通っている。人の身体を知り抜いて痛めつける、奴らしいやり方だ。
鎖は皮膚の薄皮のみを食い締め、その肌理が鎖環の繋ぎ目に食い入っていた。
鎖はわずかに緩み、抓られたように薄く挟まれていた皮膚が弾けて外れた。表皮が破れ血が滲む。悲鳴を飲み込んで、息をついた。
一瞬、先ほどまでの鋭くも部分的な苦痛を懐かしく思うほどに。
ベッドに寄りかかるように座らされていた、らしい。
息を潜め、床に這う。足音はしなかった。
何も近づいてこない。
以前の私の執務室、私のポストで。
カーテンの隙間から差し込み、床に落ちる午後の光線を横たわったまま、ぼんやりと眺めた。
わずかに舞う埃が、射光を色づけている。
何かに似ているか。
或いは、十字架を失った数珠(ロザリオ)。
祈りの珠を数えるように。
繰り返し、繰り返し。
学生時代に旅をした欧州‥‥地中海の島々。
あてどなく道端に座り込み、あるいはカフェで暇をすりつぶす老人たちの手の中で、同じように爪繰られ、回っていたロザリオ。
あれは祈りではなく、なんであったのか。
奇妙に思い、若さの勢いで幾度か尋ねてみたが、ただの退屈しのぎだと、含羞を含んだ微笑が返ってくるばかりだった。
仕事に追われ、分刻みのスケジュールをこなしていた日々には怠惰に過ごす暇などなかったが、少なくともその言葉の意味は知っていた筈だ。
歪んだ時間の流れの中、己が指先だけを秒針にして過ぎる時を刻む‥‥そんな行為に。
祈りではなく、手遊びでもなく‥‥。
そんな自分にも少しづつ疲れてきたことを自覚する。
to be continued.. Next<Agnus Dei 2>
★ ☆ ★ ☆ ★
なんかよく判らないけれど、起きたら頭の中にあった短編……|li ○| ̄|_, それにしても、需要のまったくないどーしょーも恥ずかしいものを書いている……ヽ(´ー`;)ノ ”アニュス・デイ(Agnus Dei)神の子羊”って、つまりキリストを指すらしーけど、日本人の抱くぬいぐるみ的に可愛い羊のイメージとあっちの遊牧系の民族でのイメージと全然違うよなー。 しかしなんで題名が凄くベタに伴天連系になっちゃうかな(笑) もし、神の子が「十字架」に架せられて死ななかったら? BGMは、アニュス・デイ「神羊誦」 モーツァルトでもヴェルディでもフォーレでもお好みで。 題名は、<Dies irae>にしよーかちょっと迷った。
本当は、この続きが一番書きたかったのに、そこまで至らず、とりあえずUP‥‥。
メガミドのつもりなんだよー、これでも!・゚゚・(>_<;)・゚゚・。
なんか御堂さんを鎖で縛りたかった、らしい(^-^;)boko☆*\(-''- ;)
つまり、羊は生け贄ってか食用。神サマのご機嫌次第、腹具合で、いつでも捌いて食っちゃっておk、ってことだから〜〜。
そんな意味での題名のつもりで。み〜どさんの、ひーつーじ〜♪
一度やってみたかったのか〜、俺?(・_・o)ン?
イ◎ラエルでは、エルサレム、ベツレヘム、ガリラヤ湖やら史跡は一通り回って、エジプトはシナイ山までついでに登ったけど、全然敬虔な気持ちにならんかったから〜って、信者だったらこんな題名絶対つけねー.。゚+.(・∀・)゚+.゚w
あるいは、カマ茹でにされたり、特大ジョウゴを喉につっこまれて水攻めにされたり、ノコギリ引きで殺されたら(中世あたり建造の教会行くと、殉教者の獄死の図、ってか色々拷問にかけられちゃってるムゴイ壁画が一杯あるのよね。阿鼻叫喚、凄惨地獄絵図) ロザリオの先についてたのは、なんだったんだろー? やっぱジョウゴ? ノコギリ? それともオカマ? なんて考えてた(^-^;)boko☆*\(-''- ;)
「世の罪を祓う神の小羊よ、我等を哀れみ給え」
でもこれはやっぱりアマデウスの勝ちかな? ミサ曲ならば、レクイエムのアヴェ・ヴェルム・コルプスとか、ラクリモーサの方が好きだけど(^-^;)boko☆*\(-''- ;) 本来、モーツァルトは余り好きじゃなくて、フォーレの静謐やヴェルディの派手さ方が好み。いや、クラシックの知識は、のだめカンタービレの俄かファンなんで、ほほほ(^-^;;;;
「その時、哀れなるこの身、果たして何をか言う。誰をか庇護者と仰がんと」
……嫌だ嫌だ、押井ファンになるよーな奴って、我ながらほんと嫌。|l|i ○| ̄|_, |